カテゴリー「丸川より(随想)」の9件の投稿

2014年9月17日 (水)

厚生労働部会長退任挨拶

 丸川珠代です。

 この度、厚生労働部会長の任を解かれることとなりました。一年にわたってこの職を務めることができましたのも、多くの諸先輩方始めご指導を頂いた皆様のおかげです。あらためて深く感謝申し上げます。

 部会での議論は原則非公開であり、活動報告としては十分にお伝えできませんでしたが、国会で未成立のものも含め、二十六本の法案を、部会として仕上げることができました。一年間、政策の決定プロセスに関わらせていただき、あらためて、一面的に断じることができない厚生労働政策の複雑さを、身に染みて学び、考えさせられました。

 ステークホルダーの合意形成の元に進まなければならない様々な制度の改革は、えてして漸進せざるを得ません。十人のステークホルダーがいれば、十通りの意見があります。しかも厚生労働分野においては、受益には負担、つまり保険料や自己負担、拠出金など目に見える負担が伴います。仮に“決める”ことは一刀両断にできても、“実現する”ことは容易ではありません。

 一方では、超高齢化と人口減少、そして財政制約が、常に私たちの後ろをあおっています。解決すべき目の前の課題は山のようにありますが、今から10年後、20年後を構想することにも力を注ぎたいと考えています。 制度や政策の変更は、大きな舟の舵を切るようなものだと思います。切ってからすぐ向きが変わるわけではありません。変化のスピードを見計らいながら、この時代を生きる私たちが今やっておくべきことを成し遂げたいと思います。

 これからも引き続き、ご指導、ご支援のほど宜しくお願い申し上げます。

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2013年10月19日 (土)

第185回国会が始まりました。

 いよいよ、第185国会の本格的な論戦が始まりました。

 安倍総理の所信表明演説に、私は六年前の秋の臨時国会を思い起こし、深い感慨を覚えました。安倍総理はいまや堂々と自信に溢れ、迷うことなく日本再生への道を突き進んでいます。

 この六年間の反省があるからこそ、いまの自民党安倍内閣があり、いまの私がある。時の流れの中で得たかけがえのない学びを、今改めて噛みしめています。

 秋からは、厚生労働部会長という大役を仰せつかりました。自民党厚生労働政策の責任者として、謙虚に丁寧に仕事を進めて参る所存です。

 頑張る人のやる気を応援し、未来の子供たちに我が国の社会保障制度を誇ってもらえるよう、持続可能性を守る改革に取り組みます。

 どうぞこれからも応援して下さい。

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2013年8月30日 (金)

厚労省の省議

 8月28日、厚生労働省の省議が行われました。

 官僚の責任者クラスと政務三役とが揃うこの省議、省の重要事項を決定する手続きとしての会議ですが、民主党政権時代は三年間、開かれませんでした。

 官僚の存在を無視して押さえつけるのではなく、向き合って議論し、お互いに人となりを知って信頼を得ながら、政策を実現して行く、これが自民党のやり方です。

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2013年7月22日 (月)

安倍政権の政策実現のため、皆様のさらなるお力をお貸しください

 丸川珠代です。

 7月21日に行われた参議院選挙・東京選挙区にて当選させて頂くことができました。

 17日間の熱い・暑い選挙戦で応援していただき、投票していただいた皆様に心からお礼申し上げます。

 わたくし丸川珠代は安倍総理を命がけでお支えします。今後も内閣の一員としてアベノミクスの恩恵を中小企業まで広げ、その効果を皆様の日々の生活で実感していただけるように頑張ります。そして日本人の魂に、自立、自主、自尊の心を取り戻し、額に汗して働く人が報われる社会を目指します。

 安倍政権の政策実現のため、皆様のさらなるお力をお貸しください。

 

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2013年7月20日 (土)

決意

 参議院選挙東京選挙区 自由民主党公認候補 丸川珠代です。

 停滞していた日本の政治、経済がようやく動き始めました。私は6年前、安倍晋三総理の指名を受け出馬し、初当選することができました。

 1期6年のうちに再び立ち上がった安倍内閣は、岩盤のように動かぬ枠組みにも果敢に挑戦する政権として、力強く生まれ変わりました。

 私、丸川珠代の使命は、”3本の矢”からなるアベノミクスの恩恵を中小企業まで広げ、その効果を皆様の日々の生活で実感していただけるようにすることです。日本人の魂に、自立、自主、自尊の心を取り戻し、額に汗して働く人が報われる社会を目指します。

 また、個人の努力では解決できない困難には手を差し伸べる温かさをもって、確かな社会保障を再構築し、日本を笑顔あふれる国にします。
 

  
【関連記事】なぜ政治家を志したのか その1 その2 その3
 
 
 

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2013年7月 4日 (木)

なぜ政治家を志したのか その3

その1 その2 からの続きです

 政治家として6年、残念ながらその半分に以上を野党として過ごすことになりましたが、その経験があってこそ、私は、安倍内閣の仕事を必ずやり遂げるという覚悟をきめています。

 3年4カ月の不幸な政治的停滞の結果、私たち日本はもはや、二つに一つしか道がないところまで追い込まれている、と感じています。アベノミクスが成功し、安倍内閣がしっかりとその責任を果たして、日本が世界の中で尊敬を集める国として輝き続けるか、それとも安倍内閣が失敗して、日本は繁栄していたかつての記憶を微かに残しながら、もはや自分たちの問題を自分たちでは解決できない国として世界の片隅に存在していくか。

 団塊世代の引退によって少子高齢化が急速に進むなか、もはや私たちに猶予はなく、日本が国益を回復し、国内外の変化に対応するためには、アベノミクスを、そして安倍内閣による改革を、今ここで成功させる以外に道はありません。

 また政権交代の結果、自民党にしかできないことがあることも、はっきりと自覚しました。アメリカとの信頼関係を回復し、通商交渉を国益にかなう形で進め、相手の置かれた立場を冷静に判断しながら、我々の譲らない一線を相手に理解させていく、この作業は、自民党・安倍内閣にしかできない、と私は実感しています。だからこそ、私たちの、安倍内閣の背負う責任は非常に重いということも、覚悟しています。

 私の覚悟は、私自身の反省から生まれています。これまでの不幸な政治的停滞を招いたその原因が、ほかならぬ自民党にある、ということを、私は決して忘れていません。とりわけ東日本大震災に対してまったく動けぬ民主党の政治を目の当たりにし、私は、自分たちの背負っていた責任の重さを痛いほど思い、悔みました。

 だからこそ私は、安倍総理とともに、どんな岩盤にぶちあたってもひるむことなく、政治を前に進めます。厳しい野党時代を経験した私だからこそ、奢ることなく、謙虚に誠実に国民の声を聞いて政治を進める、それを、これからも自民党が続けていくために、丸川珠代という政治家がいるのだという責任を感じています。どうかその責任を果たさせてください。

 私たちは必ず、アベノミクスを成功させ、外交を立て直し、日本人に誇りと自信を取り戻して参ります。

 どうそよろしくお願い申し上げます。

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2013年7月 3日 (水)

なぜ政治家を志したのか その2

 その1からの続きです。

 私が朝まで生テレビの進行を担当するようになったのが平成11年、そして安倍内閣官房副長官が誕生したのが平成13年4月。その後間もなく私は、安倍総理を囲んでごく少数のメディア関係者が集まる勉強会に、参加させて頂くようになりました。途中、私自身はニューヨークへ1年間赴任しましたが、その後も勉強会への参加は続き、出馬する平成19年まで数年間にわたって、安倍総理のお人柄と信念に直接触れる機会を頂いて参りました。

 この間、北朝鮮への小泉総理の電撃訪問、拉致被害者5人の帰国があり、不良債権処理と構造改革の政治的闘争があり、北朝鮮によるミサイル発射があり、激動する外交と経済の中で、国家と政治家が直面していた緊張感、そして日米同盟の現実について、私はごく部分的にではありますが、すぐそばで感じ、学ばせて頂きました。

 私が語るのはおこがましいことかもしれませんが、私から見た安倍総理は、相手がだれであろうと心を砕き、少しも偉ぶることなく思いを語る素直な心持ちと、現実的な判断を見失わない、しなやかなしたたかさを持ち合わせた方です。同時に、日本が置かれている外交的立場について、冷静に強さと弱さを見抜いている方であり、当時の私は、このような政治家に初めて出会ったように感じました。

 自分自身、もはやイデオロギーや歴史観に振り回されることなく、北朝鮮や中国の現状を冷静に受け止めて、現実的でしたたかな外交を進めるべきでる、という思いを密かに抱いていたこともあり、私の思いを体現するのは安倍総理をおいて他にない、という強い共感を覚えました。

 そして平成18年9月、安倍総理は総理になりました。その半年後、思いもよらず一緒にこの仕事をやりませんか、という問いかけがありました。私にとって失うものは何もなく、総理の進む道を信じて、私は政治の道に飛び込む決心をしたのです。

その3に続きます)

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2013年7月 2日 (火)

なぜ政治家を志したのか その1

 丸川珠代です。

 私は参議院議員になる前の14年間、テレビ朝日でアナウンサーとして働き、報道からスポーツ、バラエティまで幅広いジャンルの番組を担当し、多様な出会いと貴重な経験を頂いてきました。

 中でも自分が政治の道に進むうえで大きな影響を受けたのは、田原総一朗さんが司会を務める「朝まで生テレビ!」での経験です。生放送の討論番組としては異例の、数々のタブーに挑戦し続けてきた唯一無二のこの討論番組では、私自身、実に様々な思想の広がりをもった出会いを与えて頂き、言論人、学者の方々、また政治家の丁々発止の議論に直に触れ、生きた歴史を学ばせて頂きました。

 日本と日本人について考えることを自分の仕事とする、これほど私にとって得難い学びの場はありませんでした。二十代のうちにその機会を与えてくださった、田原総一朗さん、番組プロデューサーの故日下雄一さん、そして今なお番組を支えておられるスタッフの皆さまには、生涯、感謝申し上げます。

 また一方では経済部での取材を通じて、生きた経済を学ばせて頂いたことも、私にとって貴重な経験でした。経済成長はリスクを取る人によってもたらされる、という当たり前の現実を実感をもって理解することができたのも、その時の経験のおかげです。

 それらの仕事を通じ、私はいつしか自分自身のやっているこの仕事は、この社会にとってどのような価値があるのか、ということを考えずにはいられなくなりました。番組で議論を戦わせている方々、あるいは経済の最前線でリスクをとっている方々は、まさに自分の言葉に自分の存在をかけて、信念を貫いて生きておられる。ところが自分はといえば、一見同じように言葉を使うことを生業にしながら、自分の身は安全なところに置いて、自分のものではない言葉を電波に乗せて拡散している。

 超少子高齢化に対応する社会保障改革や経済構造改革は亀の歩みで、このままでは日本は緩やかに衰退する他はない、と当時の私は感じていました。しかし、自分は安全なところに閉じこもって見て見ぬふりし、真に日本と日本人にとって必要だと信じることについては、口をつぐんで暮らしている。本当にこれでいいのだろうか、という思いは、年を追うごとに自分の中で大きくなっていきました。

 そんなときに、私は当時内閣官房副長官であった安倍総理と、ごく少数のメディア関係者との勉強会に参加させて頂くようになったのです。

その2へ続きます)

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2012年1月 1日 (日)

【随想】新しい年を迎えて

 新しい年がやってきました。

 被災地で、まだ「おめでとうございます」と言う気持ちにはなれない方のことを思うと、無事に新年を迎えられる有難さが身にしみます。世界が激変するであろう今年の抱負は「政治を加速させる」。危機の後手に回ることは、許されません。

 他方、昨年は数々の温かい励ましを頂き、本当にありがとうございました。国会議員が現役ママになることを、多くの方が大切に考えてくださっていて、とても感謝していますし、責任も感じます。

 だんだんお腹が大きくなってくると、妊婦って、自分の子育てはどうなるんだろう? と考えるものですね。

 私の場合、晩産、晩婚で、自分の親たちはすでに家族の介護で手いっぱい。夫は選挙で地元を抱え、唯一の妹は海外在住、自分の仕事は、抜けられない、替われない、長時間勤務で、保育所やご近所に頼れる範囲を超えている・・・

 都市部でもやや極端な“孤育て”でしょうか。自分で選んだ人生とはいえ、とても家族だけでは育てられそうにありません(恥ずかしながらこんな状況、若い頃は想像さえしていませんでした。若いお嬢さんに教えてあげたい)。

 しかしながら我が国では、晩産晩婚化が進み、出産しても就労を継続する女性が増えていますから、同様の悩みを持つ人も増える傾向にあります。そこで、どんどん保育サービスを増やそう!というのが現政府の方針。

 でも、そこには限界がありはしませんか? 財源不足は乗り越えられたとしても、働き手は確実に減ります。担い手不足は医療も介護も同じ。家庭におられる女性の皆さんが働き手になれば、当面の需要には対応できるかもしれませんが、一方で、主婦が働くと家庭での“手”が足りなくなり、他方で高齢者の割合は今後60年増え続け、介護や子育てサービスの需要はさらに増加・・・

 働き方、生き方は個人の自由な選択だけれど、家族や社会がそれを支えるには“限界点”がある。人口構造の激変がもたらす現実です。これをどう乗り越えるのか、日本の大きな課題です。今年もよろしくお願いいたします。

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